(2020/02/19 の日記 をお試し投稿)
〔 2020年2月19日(水)はれ 〕
(今日は、いちいち聞いたり調べたりしないと未だに結婚指輪と婚約指輪がこんがらがる人間の、違和感の話。)
結婚おめでとう
知人の結婚報告の写真をよく目にするようになってきた。
婚・姻・届の文字を結婚指輪と婚約指輪で囲んでるあれとか、指輪してる手とか。幸せで満ちている。
いいぞ、もっと見せてくれ。ってなる。
そんな写真を見て幸せ気分をおすそ分けしていただくのだが、複数件見ていて思った。
みんなそんなにダイヤが好きかね。
同じに見える
婚約指輪、みんな同じに見える…(雑な目でごめんなさい)。立て爪にダイヤがついてるやつ。
キラッてしてきれいなんだけど、なんでみんな同じようなものに行きつくんだろう。
これ、思ったきっかけは友人知人の例を何件か見たからなんだけど、それぞれの状況があってそれぞれ納得してその指輪に行きついているわけだから、そこは私が口を出すところではない。
個人レベルの話ではなく、日本で全体的に「ダイヤよね」ってなってるのが不思議ってこと。
バレンタインにチョコを渡して告白する友人に「なんでチョコなの?」とは思わない。
でも日本の一般的な慣習に対して、なんで「バレンタイン=チョコを渡す」なの?とは思う。
そういうことです。
ダイヤもキラッとして素敵だけど、宝石ってダイヤだけじゃないし、それぞれのカップルに好みや個性があるんだから、ダイヤ以外の色石ももっと見かけてもよさそうなのになって思う。
無垢な花嫁的にはNGなんだろうか。まだ染まってない感必須なのかな。
実用性とファンタジー
ダイヤが選ばれる理由があるらしいのも知っている。
以前、目利きの宝石店の方から聞いたことがある。
ダイヤはカットによって、表から見ると8つの矢、裏から見ると8つのハートの形が見えるらしい。
きれいにカットされていないとこの模様がでないらしく、モチーフがキューピッドと重なることから、婚約指輪に選ばれるらしい。
あと、ダイヤは硬いから、傷がつきにくく実用的。
なるほど。と思った。この話を聞いた時は、ダイヤが使われる意味ってあったんだな~って思った。
それで全国のジュエリーショップの人がみんなダイヤをおすすめするのかな。
店員さん、売るのうますぎる。商売上手。
しかし、映画やアニメを見すぎた私は思い出した。
よく「うちでは代々受け継がれてきたこのサファイアの指輪を婚約指輪に渡すのが習わしなんだ」的な貴族ものとか、
「ふたりの思い出のあの花畑を、あの時のことを、いつでも思い出せるように、あの花と同じ色の宝石を選んだんだ」的な幼馴染ものとか、
よくあるじゃん。妄想を多分に含んでいるかもしれないけれども。
フィクションとしてはダイヤ以外も見かけるんだけど、その割に、現実でダイヤ以外をあげる / もらう人って見たことない。
20歳の恋人へのプレゼントは時計だ!みたいな風習もないんだから、婚約指輪だってダイヤじゃなくてもいいのでは、と思う。
多様性を謳ういまどきにあって、こんなに個性が表れない分野ってのも珍しいと思う。
思い出の場所にちなんで、とか、彼女の好きな色を選びました、とか、みんな嬉しいと思うのになんでダイヤが多いんだろう。
ハートと矢なんて肉眼じゃわかんないだろうに(雑な目でごめんなさい)。
カップルそれぞれの個性出していけばいいのに。
しかも、女の子の結婚指輪にはダイヤついてるデザインもあるんだから(そっちはわりと多様性ある)、キューピッドさんにはそちらで活躍してもらえばよさそうな気もする。
最近は婚約指輪はなしで、結婚指輪だけ買うカップルもいる。そもそも指輪を買わないカップルもいる。
買う買わないも自由なら、買う人も縛られず自由に選べばいいと思う。
もちろんダイヤが好きな人はダイヤの指輪をすればいい。
中学の先生の指輪
そういえば、婚約指輪で思い出したことがある。中学のときの先生の話。
左手の薬指に指輪をしていた。淡いピンク色の、ビーズの指輪だった。
(失礼を承知で書くが、)おもちゃと言われれば納得するような、細いゴムを通してある指輪だった。
薬指にビーズでできた指輪をしている大人を、たぶんその場にいた子たち(女子数人)も、私も初めて見た。
だから、みんな気になったんだと思う。
「先生ー、それ婚約指輪?」と、だれかが聞いた。(もしかしたら結婚指輪だったかもしれない。そこは記憶が曖昧。)
悪意はなかったが中学生、パーソナルな話題に切り込む…
先生は、そんなことを無邪気に聞いちゃう(不躾)中学生女子たちに、笑顔で教えてくれた。
(先生、ありがとう。大変失礼いたしました。)
お金のなかった若いころに、今の旦那さんがプロポーズしてくれて、そのビーズでできた指輪をくれたのだそうだ。
中学女子たちはその場できゃーきゃー盛り上がった。
なにより先生に、見栄とか恥とか、そういう感情が全くないように見えた。
「指輪は金属」を「普通」と思いがちだが(実際当時の私はそう思っていた)、先生が対外的なことなど気にせず穏やかな笑顔で大事そうに話してくれたのが、私にはとても印象的だった。
学校で見かけたとき、先生は必ずその指輪をしていた。淡いピンク色のその指輪は先生にとてもよく似合っていた。
その指輪はふたりの関係性が滲み出ているモノだった。感動。
こんなに清らかな話が、精神が、現実の世に本当にあるのか、と思った。映画みたいだと思った。
なんでもしあわせ
別に、必ずしも滲み出させる必要はないんだけど、ふたりの関係って個別なものなのに、みんな同じような形をとるのが不思議です。
多感な中学生の頃に、こんな清らかな話を聞いてしまったからかな。
とはいえ、あげるのももらうのもなしでもハッピーなモノだから、結局なんだって関係ないんだ。気持ち。
みんな、おめでとう。幸せをありがとう。