エッセイ

チューリップで己の成長を知る

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自分のチューリップ

最近、チューリップがかわいい。

いや、昔からかわいかったんだろうけど、小さい頃はそこまで思わなかった。好みの問題かもしれないけど薔薇の方がきれいでかわいいと思っていた。

どうしてかというと、保育園で一人一鉢チューリップを育てたからだ。

ん?と思われるかもしれない。自分で育てたなら好きになりそうじゃないか、と。

たしかに愛着はあった。チューリップに関してなにか悪い思い出があるわけでもない。

保育園では自分の名前がついた鉢にチューリップの球根を植えた。球根って玉ねぎだったんだなって思って剥こうとしたらティーチャーストップがかかった。自分の鉢っていうのがなんだかうれしくて、はやく芽が出て欲しかった。

先生と毎日毎日水をやった。ただ、この球根が育つとチューリップが咲くんだよ、と言われてもピンときてはいなかった。

チューリップ群生

チューリップという名前はよく知っていた。歌にも出てくるし絵や折り紙の時間でもよく出てきたから、花の名前だということは知っていた。

実物もたぶん見たことはあったけど、これがチューリップだ、チューリップを見るのだ、と思って見たことはなかったから、私の中で実際の植物としてのチューリップ像は曖昧だった。

なんかよくわからんけど自分の鉢で自分のチューリップ!これは私にとって嬉しいことだった。

毎朝保育園に通うとまずはチューリップの様子を見に行った。小さな雑草が生えてきては先生にこれ?これ?と尋ねる日々だった。わくわく。

芽…?

そうしているうちに、友達のチューリップが先に芽を出した。

え?芽?あれ?
違う…。

私のなかでは「芽」といえば双葉だった。
↓ これ。こうなる予定だった。

双葉の予定でいたのに、なんだか緑のツノが生えてきていた。

私の鉢にも生えてきた。確かに今まで抜いてきた小さな雑草たちとはサイズもオーラも違うから、これが私の求めていたチューリップの「芽」だと認めざるを得なかった。

そして子どもの順応の速さはすごかった。

衝撃を受けたのは最初だけで、自分の鉢にもツノが生えてきた頃にはツノかわいい~くらいに思っていた。生えてきたツノをそーっとつんつんするのが好きだった。つんつんしたい衝動。多少先生に止められてもつんつんした。

形だけでなく厚さ硬さも、私が予定していた「芽」とは違った。本当にツノだった。「芽」って葉っぱだよね?「葉っぱ」ってうすっぺらくてひらひらするやつじゃないの?これなに?な状態。

ツノが5センチくらいになったところで、もうこのままツノがのびるだけで花なんて咲かないんじゃないかと思った。

そんなかわいいツノが、のびてくると開いてきた。これからあの双葉 になるのか、と思っていたらそれも違った。

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ずっと蕾

チューリップは順調に育った。でもやっぱり私の想像していた植物ではなかった。あんなに厚め硬めで針金が通っていそうな葉っぱを、私は知らなかった。育った葉っぱはかわいくはなかった。

そこからどのくらいで蕾が出てきて花が咲いたのかは覚えていない。当時の私には葉っぱのクセが強すぎて。なんか、いつの間にか咲いていた。花は色鮮やかでかわいかった。葉っぱとは言い難い葉っぱの緑色だけだったときより、テンションが上がった。

しかし花も花で、咲いていたけれど、私はまだ咲いていないと思っていた。まだ蕾。まだ蕾。知っていればチューリップが咲くってあの状態だねって思えるけど、知らなかった私には長い蕾期間だった。

途中で先生がこれが花だよって言ってくれたけど、私にとって花は開くものだった。蕾が少し膨らんでいるくらいでは花が咲いたとは言えないと思っていた。

目指していたのは ←これ。

たしかその時期なにかのイベントがあって、保育園で一番広い部屋(ホールとして使っていた)に鉢が並べられた。卒園式とか入園式とかお茶会とか、そういうイベントだったと思う。私の咲ききっていないチューリップもみんなの咲ききっていないチューリップも、そこに並べられた。

チューリップ

蕾の状態でもきれいなお花があるんだなあ、と思っていた。変わらず自分が育てた愛着はあったし、みんなのチューリップが並んでいるのはきれいな光景だったけど、まだ咲くのはこれからだと思っていた。まさか閉じた状態が咲いた完成形だなんて思わない。

まだ、まだピークじゃない、ここからが本番。ここまで長かったなあ。わくわく。

そうして悲しい現実に行きつく。

チューリップという花は、開いたら即散る。

しかもしっかり開いた花がそこまでかわいくなかった。こんな風に 開くころには大きな花びらのつき方が不安定で散りそうで、いかにも行き過ぎちゃった感じがした。

印象操作するぞ

初めてチューリップを育てたときの印象があったから、チューリップのことは、他にももっとかわいい花はあるな、くらいに思っていた。長いこと、チューリップに対してはそんな感覚でいた。

いつ咲いていたのかわからない花は育てた感動がうすくてどこで喜んでいいかわからず、予想外の形状をした葉っぱの衝撃だけがしっかりと残っていた。

チューリップ、そういう印象になっちゃった。

だから最近、チューリップが咲いているのを見てきれいだと思えるようになっただけでも、大人になったなあ、と実感する。桜よりもピークがつかめない花だったチューリップを見て「あ、咲いてる」と思えるようになっただけで、私にとっては進歩だ。

チューリップを素直にきれい、かわいいと思えるようになったのはここ数年のこと。小さい頃は見かけなかった切り花のチューリップを最近よく目にする。それがとてもかわいい。きれい。たいてい葉っぱもいっしょに飾られていて、めちゃくちゃいい。チューリップの花束、優しい雰囲気ときれいな色合いでとても好き…!

群生もきれい。

そう思っている自分が意外。

こんなにきれいな花だったんだね。返り咲いたチューリップ。冒頭で薔薇の方が、と書いたが、あれはきっと周辺情報や体験の量の違いだと思う。多少、実物の印象が情報に引っ張られていたところもある。

私の個人的な体感として、小さい頃に知るような日本の童話は動物がよく出てくるわりに、花ってそこまで出てこない。「はなさかじいさん」の桜くらいかな…?桜は昔から変わらずきれいだと思っている。みんなよく話題にするし、お花見もしていた。

海外の童話には花が多い気がする。薔薇はいろいろな物語で意味ありげに出てくる。美しさの象徴とされて出てくる。あと、私のおばあちゃんが庭で育てていた。手入れがうまくいかないと花が咲かないのだと言っていた。だから比較的身近な花だったと思う。

バラ

対して、チューリップの話題が出ることって珍しい気がする。大人になった今でも「オランダ行きたいなあ」とか「〇〇公園のチューリップ畑行きたいなあ」くらいしか思いつかない。おばあちゃんはチューリップも育てていたが、難しくない花だったようで特になにか言っていた記憶がない。

小さい私にとっては情報が少なく、チューリップがあまり身近ではなかった。いや、身近ではあっても印象が薄かったのかもしれない。

私の中で「花」の典型はこれ→ だったし、「葉」の典型はこれ→ だった。その状態で育てた結果、植物としてのチューリップは理想と現実のギャップが大きかった。

チューリップが出てくる物語といえば、アンデルセンの「親指姫」だ。私はさほど読書量が多い人間ではないのでそのくらいしかパッと思いつかない。「親指姫」をちゃんと読んだのは大人になってからだった。小さい頃に読んでいれば、もう少しチューリップをかわいくきれいなものとして認識していたかもしれない。

まあ、先入観なく直にチューリップを見ることができたのだと思えば後悔はない。もうちゃんときれいに見えるし。「チューリップ=かわいくなかった(葉っぱが予想と違って)(咲いた花も花っぽくないし)」という印象は、今では「親指姫」のやわらかいイメージがなんとかしてくれている。

いろいろな情報があれば少しは印象のセーフティネットになるのかもしれない。まっさらに見るのもよし、いろいろな知識と経験が世界を美しく見せてくれるのもよし。

きっとそういうことだ。(遠い目)