(2020/03/18 の日記 をお試し投稿)
〔 2020年3月18日(水)はれ 〕
こんな春陽気の日中は、外に干された洗濯物をぼーっと眺めてしまう。
風がゆるく吹いている日はなおさら。
なんでだろう。いつからだろう。私はどうやらそういう習性みたいだ。
外に干されている洗濯物を見るのがけっこう好き。
(最近自覚したわけだが、別に変態に目覚めたわけではない。)
干しているのだからもちろん空は晴れていて、外はほんのりとまぶしい。
きれいな泡と水に洗われて、くしゃくしゃだった布があるべき形に整えられ、ムラなく乾くよう広げられ吊るされて、重力と風のままにゆれている。
洗濯物が外に干されている光景って、なんだかとても健康的に思える。
洗濯って、自然も人の手も、めいっぱい連想させる動きだな、と思う。
当たり前ではあるけど、自然と人がどちらも平和に存在するからできること、という感じがする。
あたりまえがあたりまえであるという、音のしない幸福。
実際、干された洗濯物というのは、とても平和な光景だ。
風が吹いてシーツのような大物がふわっと浮いたときの、その大きくゆるやかな動きも、ハンガーで同じように並べられたシャツが、一斉に同じ方向になびくのも、見かけるととても素敵に映る。
そして、それらが放置されているのである。
外の自然環境に晒しておくことにも、見知らぬ人が外に存在することにも、安心しているのだ。
洗濯物を見かけると、それだけで、幸福感がじんわり増していく。
なんなら、羨ましささえ感じる。私も洗濯物になりたくなる。
洗濯機の、暗く激しい動きには耐えぬいたあとなので、身体はもう洗ってあるということだ。
気分は温泉上がりである。
きれいな状態で、風通しもよく、陽当りもよいところで、ただただ力を抜いて過ごす時間。
至高である。
誰にも何も言われず、ただそこにいることが洗濯物の仕事だ。
乾くのが速いとか遅いとかは洗濯物にとって範疇ではないし、文句を言われる筋合いはない。
そして、普段の目線より高いところに吊るされると、見晴らしがよくて気分も良さそう。
洗濯物をみると、幸せそうだなあってつい思う。
なんか分かんないけど羨ましいなあってなる。
あの風になびく動きの具合とか、絶対に人じゃ真似できないからかな。
人が干したものだけど、人とは関係のない、自由な動き。なんかぼーっと見ちゃう。
実際に洗濯物になったらけっこう苦痛だろうし、外に放置したら本当には清潔じゃないのかもしれないけど、そんな現実的な側面をごまかせるくらいには、洗濯物という光景が幸福を醸している。
ここまで書いたけれど、こんなにぼーっと眺めつづけるのは自宅のベランダだけだ。
よそ様の洗濯物を凝視することはしない。
だいたい、凝視ではだめなのだ。
というか、よそ様の洗濯物を見るために外に出ることなんてまずないし、そんなストーカーじみた動きで外を見たら、世界が狭くていかにも窮屈な感じがしていやだ。
洗濯物のあの美しさは、人の健康的な営みと、自然へ向いた開放感にある、と思う。
だから、凝視した時点でその美しさは損なわれてしまう。
洗濯物目的の視線はそれだけで不自然だ。
外を歩いているときには、ぼーっと視野を全体視していたら、たまたま布がなびいているのが見えて、ああうちも今日シーツ干せばよかったなあー、と自分の生活を思い出すくらいにしか認識していない。
積極的に洗濯物を見るスタイルではだめなのだ。
見ているけど見えていないくらいの、興味のなさが大切。ぼーっと全体視。
そのくらいじゃないと洗濯物を美しく感じることはない。ただの現実になってしまう。
今日は雨が降らなそうでよかったなあとか、風が強すぎないからうちの洗濯物も飛ばされる心配がなくてよかったなあとか、そんなことをなんとなく考える時間もじんわり、いとあはれ。なんとなく、が大事。
洗濯物そのものの特性もあるけど、その裏に、人の健康的な生活や息づかいを感じるから、洗濯物のある風景が好きなのかなと思う。
そして、重要なのが、部屋でぼーっとしているときにふと見える洗濯物は好きだけど、
衣類を色ごとに分けて洗濯機をまわして取り出して干して取り込んで畳んで仕舞う、
という一連の現実的日常生活の動きは面倒くさくてそこまで好きになれない、ということ。
ぼーっと眺めるだけの距離感が、現実過ぎず、幻想過ぎない絶妙な視点なのかもしれない。
あくまで、ここに人が生きているんだろうなあという、「想像」が好きなのだ。
家の中から自分の干した洗濯物をぼーっと眺めちゃってなんか幸せっていうのは、もしかしたら自分の達成感も込みで見ているのかもしれない。
完全な自分事として洗濯物を見ると、ただ作業の面倒くささを思い出すだけになりそう。
干し終わったらほどよく他人事になる感じがいいのかな。放置段階だし。
やはり放置が効いている。
しかし、やっぱり洗濯、面倒くさいものは面倒くさいのである。
見るだけがいいなあー。