エッセイ

秋の明るさにすくわれている

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一時停止

とっても秋。

しばらく立ち止まっていた。ちょっと沈んでいた。だから、気持ちのいい秋を実感することに注力していた。

風が涼しくて、晴れていて、私は秋が好き。いきいきできる時期かなと思う。

春も気持ちよくて好きだけど、あったかいのも好きだけど、どちらかというと涼しいのが好き。

人って停止するときはするんだなと思った。こんなにあらゆる方面において好ましい気候になったのに、部屋の中でさえなかなか動かなかった。

何に対してもなんだか気が向かず、本を開く、とか、リモコンを取ってテレビの電源を入れる、とか、アレクサに音楽流してって言う、とか、自分のためのおやつを冷蔵庫からお皿に出す、とか、思いついてもなんだか行動にならなかった。好きなことのはずなんだけどな。

忙しくてストレス、というのではなく、自分の人生を自分で前に進めている感覚が持てなくなっていたんだと思う。

言葉だと大げさだけど実際は、旅行に行く、とか、美術館に行く、とか、ライブに行く、とか、ちょっと繁華街に出る、とか、そういう刺激になりそうなことや変化を、自分で勝手に「やりたいからやる」ってできない状態が長いから、心が平坦になっていた。感情の振れ幅が微小になりすぎているんだと思う。

自分の采配で動いてはいけないという感覚。現実は、誰しも自由に決定していいはずだ。それでも自分の意識が自分の決定を禁止する。変化に鈍感になっているときに小さなサイクルの生活を続けていると、主観にこもりすぎて停止するのかもしれない。

あきらめて心からお昼寝

そういうときはもう仕方ないからと、思い切って気持ちよくお昼寝することにして過ごした。

はじめのうちは対象のわからない謎の焦りのようなものがあったり、自責の念がぼんやりなくもないけど、開き直るまでお昼寝を繰り返した。じたばたしても仕方ないという、いい意味での諦め。そして一回寝ると2時間は寝る。でも夜も普通に寝ちゃう。小さいころからよく寝る子だったの。

春はぼんやりぽかぽかお昼寝日和。
夏はさんさんとした窓の外を見ながら空調の快適な部屋でお昼寝日和。
秋は心地よい空模様を見ながら窓を開けて涼しくてお昼寝日和。
冬はあったか布団に埋もれてしあわせお昼寝日和。

寝て起きても罪悪感がない状態になるまで、「本当に気持ちよくお昼寝」を遂行できるまで繰り返した。少し、充電が回復してきたと思う。

さらに、ちょっと外を歩くと、秋風が気持ちいい。まだ寂しさを感じるほど寒くはないのは、日向がしっかり夏の残りだからかもしれない。セロトニンな感じでじわじわしあわせになる。金木犀はすっごい遠くまで香るって知ったし、「10分外を歩きましょう」は5分先の地点まで行くだけでいいと知った。

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無いことにしていたできごと

それで今日、この記事を書いてみた。

「気楽に好きにやればいい」「いつなにをするのも自由」という意識が感覚に満たされてくると、いろいろと手を付けられる。そもそも振り返ると、無のサイクルな気がしていた生活にも変化はあったなと思える。

空き部屋だったお隣に、おそらくファミリーが引っ越してきた。DIYなのかのこぎりの音が聞こえてきたり、小さい子の元気な叫び声や赤ちゃんの必死な泣き声が聞こえてきたりする。おばちゃん二人の話し声もする。「暑いなーベランダー」、うん、今日ベランダ暑いよね。

スーパーに栗が出ていた。栗ご飯が好きだ。今季2回くらい炊いて食べたいな。

コロナウイルスのワクチン予約で画面に張り付いていた。競争の要素があると良くも悪くもドキドキする。

ワクチンを打ちに行った。帰って見たら打ったところと違うところに絆創膏が貼られていた。おしゃれ目的で絆創膏を貼っていた頃を思い出して、次になぜか初期のポケモンの短パンこぞうを思い出して笑ってしまった。短パン小僧ってなんだよ。

ちょっと気力がわいたときに、革靴屋さんに行って試着をしてきた。店員さんが話しやすくていろいろと対応してくれてうれしかった。試着した革靴が履いていったスニーカーよりも履きやすくてびっくりした。いい靴は違う。見た目も歩きやすさも感動的だったけど、冷静になって考えるために買いはしなかった。おかげで頭から離れない。

アンデルセンの誕生日に思い立って買った『即興詩人』を、昨日ようやく開いた。突然ですがアンデルセンの誕生日ってご存じですか?私は本屋さんのツイッターを見て知りました。4月2日だそうです。もともとコロナ禍で旅行もできなくなっちゃって、気分だけでもイタリア周遊旅行をと思って買った記憶がある。

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本の厚さが3センチあって、私にとっては分厚いから、自分で興味を持って買っておきながら触ることもなかった。もう9月も終わりになっちゃった。でも読書は個人的体験だからOK。

(私が買ったのは山川出版社のもので、アンデルセンが作った『即興詩人』を森鴎外が日本語訳(文語体)したものを安野光雅が口語訳したもの。現代文なら読めそうだし、開いてみたらひとつひとつの章が短かかったから、読み始めれば進むやつ。積読あるあるですね。)

いつのまにか本の紹介になっていた。

気の向くままに書いたけど、書くといろいろ出てくる。変化に鈍くなっていたから自分で「できごと」としてカウントしていないだけだった。そういうことあるよね。

ここまで読んでくれたあなたも、気持ちがなんだか低いところにあるようなときは、ちょっとした好きなことにも食指が動かないときは、窓辺で秋の空気に触れながら心ゆくまで寝てみてね。本当にこの時期のお昼寝は最高に気持ちいいし心が澄んで軽くなる。しあわせがダイレクト。

秋の明るさは潤っていて良きかな。

(ちょっとだけ続きを書いた次の日の日記 ↓)

思い出してとつとつしている日記

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思い出してとつとつしている日記 〔 2021/09/30(木) くもり 〕 昨日の記事を書いてから、実はいろいろやってたこと...