エッセイ

【舞台芸術】ミュージカルと舞台劇の違いについて考えてみた(劇団四季『リトルマーメイド』/ 劇団☆新感線『神州 無頼街』)

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この4月は地元でのイベントが多かった。

 劇団四季『リトルマーメイド』
 劇団☆新感線『神州 無頼街』
 友達の結婚式
 友達の結婚式

が、すべて静岡県で開催だったので、静岡県内をうろうろしていた。

地元特有のほっとする空気を感じつつ、刺激の多い4月だった。

この記事ではふたつの劇団での観劇について思ったことを書いておく。

劇団四季『リトルマーメイド』

『リトルマーメイド』はディズニーアニメを原作としているだけあって、キャラクターや場面の雰囲気の再現度が高かった。

役者さんはフライングで、ステージの上までけっこうな高さを飛んでいるはずなのに、飛んでいるというより泳いでいるように見える。ちゃんとステージが海ですごい。飛びながらぶれずにはつらつと歌っているさまを生で目撃しちゃってすごすぎた。

四季作品は、この間まで『オペラ座の怪人』(という複雑でダークな美)を3回も見ちゃったからか、悪者が悪者としてだけ存在したり、ただひたすら現実を切り開こうとしたり、明るい歌やコメディやカラフルな場面だったり、ハッピーエンド全開!なわかりやすい物語だったり、がとても久しぶりでなんだか浄化された感がある。

安心して見ていられる物語も必要だな、と思った。

『リトルマーメイド』が静岡にくるのは初ということでTVで特集が組まれていて、その中で故・浅利慶太さん(劇団四季創設メンバーにして偉大なる四季総監督)のお言葉が出てきたのが印象的だった。

「演劇は見る人に現実を生きる勇気を与えられるものでなくちゃならない」(うろ覚え)

というような内容だった。現実逃避のためのものじゃないんだ、と思った。現実逃避として終わらず、(一時的に逃避できる避難場所になることがあっても、)見たあとに自分の現実と向き合う活力になる、というところまで見据えているのがいいステージなんだな。

観る側としても、観劇中はどっぷり異世界に没入して、そのあとで世界観から帰れなくなるよりは現実とつながる方が、きっと健康的な観劇体験になる気がする。

劇団☆新感線『神州 無頼街』

劇団☆新感線の『神州 無頼街』は、福士蒼汰・宮野真守・高嶋政宏・松雪泰子などの有名芸能人が出ている舞台ということで、見に行ってみた。芸能人が出ている舞台って初めてだった。(なんとなく芸能人は固有名詞として見聞きしているふしがあるので、敬称略で失礼します。)

歌や照明がロック。ハチャメチャで、役者さんが楽しんでいる(楽しんじゃってる)感じが直接伝わってきて面白かった。

観劇というと普段はミュージカルが多いので、新感覚だった。どちらも歌うしセリフもダンスもあるのに確かに違っていて面白い。こういう舞台とミュージカルってどう違うんだろう、と考えてみた。それで、私の中ではこんな結論になった。

ミュージカルは、見せ場が歌っている場面にきたり歌そのものであったりする。役者さんが作品やキャラクターに寄せていく。いろいろな動きが踊りを基本としている。まぁあと当たり前ではあるけど、発声の仕方とか舞台のつくりとか、基本としている技術が違う。現実では見かけない動きや話し方や背景であってもそれが徹底されているから、異世界感が強い。

芸能人が出ているような舞台(他にいい言い方があったら教えてほしい…)は、見せ場が殺陣とかアクロバットとか歌(ポップス系)とか、ステージショーとしての照明・音響とか、あと芸能人すごーい、というようなところにあると思った。ミュージカルだったらこの殺陣はダンスになるだろうな、とか。作品やストーリーが役者さんの存在感やカリスマ性に寄せて構成されている。その役者さんありきな展開というか。これは福士蒼汰を見たくて、宮野真守を見たくて、見に来る舞台だ、と思った。あと舞台セットや人の動きが現実に近い。婉曲表現が少ない印象。

同時に、劇団四季の作品主義ってこういうことかあ、という体感もあった。

(+ まもさんはやはり声優さんで、演技しててもスピーカー通したホールでも普通に言葉がくっきり聞こえてきてすごいなあと思った。福士蒼汰は相変わらずかっこよかった。松雪泰子と高嶋政宏はなんかもうキャラ徹底してて存在感も強すぎて度肝。)

ミュージカルはなんとなく、全体の調和や繊細さの奥を味わう感じ。知る人ぞ知る高級老舗和食店懐石料理コースの間違いなさ。

舞台劇はいろいろな素材や料理の個性をそのまま並べて味わう感じ。都会の外資系ラグジュアリーホテルビュッフェの煌びやかさ。

新鮮な発見があって面白かった。いろいろなジャンルに触れるのって楽しい。