ネットで出会う
ネットでの出会いが増えた。
本の話。
本を選ぶとき、タイトルって難しい。ネットで本を買うことが増えたからか、タイトルと少ないあらすじを基準に本を買うと読んでから落差に驚いてしまう。タイトルと中身で、硬度やテンションみたいなものが全然違うのだ。たいていタイトルよりも中身の方が硬派だったり落ち着いていたりする。逆はあまり遭遇しない。
ジャケ買いするぞ!くらいに思っていたら表面と中身のギャップも含めて楽しみになるけど、自分の本棚に相棒のように置いておきたい本を探し求めているときは、そのギャップが探索の難易度を上げてくる。タイトルよりも中身が好きなら結果的に買い物成功ではあるのだろうが思っていたものとは違うだろうし、中身よりタイトルが好きだった場合、読後に困惑する。
表面だけで中身を的確に予想しようと思っているわけではない。そんなの無理だ。それを加味しても、読み終えて「なんでこのタイトルとこのあらすじにしたんだろう?」と思うことがある。
そう思うのはどちらかといえば表面よりも中身の方が好きだった時。大本命ではないながらなにかのきっかけでなんとなく入手した本の中身が、とても好きなものだった時。タイトルやあらすじの意図がつかめないというよりは、キャッチーにしすぎてもったいないなあという感覚になる。中身を軽くし過ぎた印象を持つ。
理想をわがままに主張
キャッチーにするのはもちろん売るためだろう。本が商品である限り知られない・売れないことが一番もったいないことだ。身軽な勢いと見てわかりやすい熱量がある方が、多くの人の興味をひきやすい。私が表面をキャッチーにしすぎてもったいないと感じたのだって、そもそもその本を発見して手に入れたからこその感想だ。
だからこれは私の個人的なわがままだ。タイトルやあらすじなどの本の表面は、本をこれから読む人に向けたものであって、読み終えた人を視野に入れていないものなのかもしれない。
そうとわかっていても、タイトルやあらすじが内容からやむなくそぎ落とすもの・とりこぼすものはせめて、意味や流れであってほしい。それなら納得できる。表面から詳細を知ろうと思うほど欲張りはしないから。でも雰囲気や硬度や性格のようなものは、中身と表面で一致していてほしい。テンションというか印象というか。中身由来の「その本らしさ」こそ表面から滲んでいて欲しい。そういう抽象が私には重要に思える。気になっちゃう。
売り手も買い手も高難度
表面の方が好きだった場合は単純に、やられたなあと思う。丁寧な口調と整った身だしなみの人の話を聞いていたらあやしい勧誘やナンパだった、みたいな残念な後味になる。でもこれはいろいろな買い物によくあるパターンだ。もうちょっとちゃんとチェックすればよかったな、という後悔が残るけど、買い物の性質上仕方がないことでもある。
納得できないのはどちらかというと、中身の方が好きだった場合。読後にタイトルやあらすじを読むと、こういうんじゃないんだよ(いい意味で)!と言いたくなる。ほがらかな性格の友達が、サングラスをかけさせられて尖ったギラギラの靴を履かされて、その見た目によってまわりの人に警戒されている場面を見たら、違うんだ!と言いたくなる感じ。中身を知っている人からしたらすごい違和感。
本棚の相棒探しとしては発見しただけ成功だろうけど、もったいないとは思ってしまうし、やっぱり違和感が残る。第一印象で真面目認定されるとそのあと素を出しづらくて関係構築に時間がかかるような。ハードな部活だと思って敬遠していて、最後に体験してみたらゆるーいじゃん、はやく言ってよ、みたいな。はじめからその気さくな性格を知っていたらもっとはやく仲良くなれた気がするのに~みたいな。
そしてそれが本だとより、このギャップ必要だった?ってなりやすい。本でギャップがあってもきゅんとはしにくい気がするし、人間よりも功を奏すことが少ないと思う。私は出会ったからいいけどさ。勘違いされやすいんじゃもったいないよ。はじめからまっすぐその本らしさで誰かのどストライクになってくれよ。
ギャップ萌えはギャップがあることを知った人にしか起こらない。そもそも知る機会がない人にはそんなギャップは存在しない。結局中身を知るまでなにも知らないのだ。だからせめて勘違いが起こらないように、本の表面は中身由来のテンションや硬度でいてほしい。人間と違って、本が表面だけで関係をつくっていく場面はないだろうから。
中身と表面の落差がどの程度なら違和感なく受け入れられるのか、それは個人の感じ方と好みによる。一番はやっぱり落差なく一致していてほしい。中身のテンションや性格が、いい塩梅で表面に表れていてほしい。相棒を探すならその方がいい出会いになると思う。発見しやすいし、末永くよろしくできるだろうし。
でも個人の感じ方だから、私の思う一致は誰かの思う不一致ということだ。私が中身の方が表面よりも繊細だなあと思っても、違う誰かにとっては中身も表面も同じくらいの繊細さなのだろう。不一致でも、意外性がいい味になることもあるかもしれない。いい塩梅とは難しいものだ。商売って大変だなあ。
ゆっくり出会いたい
ネットで本を買おうとすると、手早く難しい出会い方になりやすい。対して本屋さんなら齟齬が起きにくい。
このご時世もあってなかなか本屋さんにも行きにくいけど、末永くよろしくしたい自分の好みの本を探すなら本屋さんが最適だ。
だって、読もうと思えば買う前に全文読めちゃう。まあ本屋さんに通って買う前に全文読みたくなるほどの本ならさっさと買っているだろうけど。でもそのくらい、本屋さんは相棒を探すお客に優しい。ゆっくりじっくり出会える。なんとありがたいシステム。
しかも書店員さんがポップをつくってくれている。あらすじとは違う視点で中身について書いてくれていたりするから、「表面より中身が好き」パターンの出会いのきっかけが増える。ネットだとどうしても自分で検索した周辺で本と出会うことが多くなるし、「表面より中身が好き」パターンはそもそも素通りしやすくて出会いが少なくなりがちだ。本屋さんだと、自分ひとりでは通り過ぎていた本を目にとめるきっかけが増える。直感でこれどうかなって思ったあとすぐにページをめくることができるから、買いやすい。
目当ての本がないときにこそふらっと行きたい。
タイトルやあらすじと、中身とで、なんか思ってたのと違う、となるのは本にとっても人にとっても悲しいすれ違いだ。
読後に、中身が良くてタイトルに違和感があると、私は出会ったからいいけど!どこかですれ違いが多発しているのでは!と思ってしまう。本が売れないと言われているしキャッチーな表面は販促の戦略なのかもしれないけど、本にはギャップは少なくあってほしい。ネットを重視すると難しいのかなあ。
個人の感じ方もあるしだれにでも完全な一致は難しいだろうから、やはり積極的にギャップ萌えな本も探していきたい。素通りしそうなときこそ気をつけてギャップを見つけたい。ギャップがある前提で本を見る。
とりあえず、長期的な関係を築きに本屋さんをのんびりうろうろしたいなあ。
と思ったのでした。