エッセイ

ロールケーキの健気なうずまきと目が合ってから

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ケーキ屋さんで出会いました。

ロールケーキよ、きみはどうしてそんなに健気なんだ…。

そんな風に思ったおやつタイムだった。

普段はあまりロールケーキを選ばない。ショートケーキに安定感を与えたかったのかなって感覚になってしまう。

不安定な場所で食べるケーキとしては食べやすくて正解だろうけど、食べるときに安定したテーブルとお皿を使える環境なら私はショートケーキを選ぶ。

ショートケーキの方が、スポンジ生地と生クリームの比率もほどよいし、ロールケーキよりフルーツも多い気がする。私はショートケーキとロールケーキが並んでいたら、ショートケーキに惹かれがち。自覚もある。

しかし、季節限定のロールケーキが出ていた。

上には、丸くくりぬかれた玉のようなメロンが、あたかもホイップして丸く絞り出された生クリームに同化しようとして失敗したかのようにのっていた。ロールの内側には刻んだメロンがくるまれているのが見えた。

赤肉メロン

まずはショーケースを遠目に全体視…、の最初は、なんだかわからなかった。ん?なんだかわからんものがある…、と思って見てみると、黄緑色とオレンジ色がひとつのケーキのなかに混在していた。

スポンジ生地の柔らかな薄黄色と生クリームのどこまでいっても白い白、という見慣れた配色を、見慣れない光景に変えていた。私の知らない鮮やかで優しいものが、そこにある…!

季節限定という言葉に惹かれて買ったのではない。果物は小さい頃から大好きだった。特にメロンは大好物だった。ずっと食べていたくても果物であるがゆえに果物は季節限定になるという、それだけだ。その、季節限定ロールケーキが、私にとってどんぴしゃだった。

見た目がもうあきらかにおいしい。美味が見た目にはみ出している。

進行、滞りなく

るんるん気分で家に帰り、おやつタイムを待った。

もうすぐ休憩のおやつタイム。わくわく。そろそろ準備をしよう。そんな時間になった。

箱を冷蔵庫から出し、ロールケーキを箱からそーっと出してお皿にのせた。

これは力加減の難しい作業だ。見た目からものの硬さとそれを掴むのに適度な力を判断する、ということを機械で再現するのは大変らしい。瞬時の判断とこの作業は生きている我々にしかできない、という誇りをもってロールケーキを取り出した。このときの私はケーキ取り出し職人の目だった。

そしてお皿ごとそーっと冷蔵庫に入れた。飲み物を準備する間にもなにがあるかわからないから。急に別のことに気を取られてしまって常温で少し時間が経つと、生クリームがゆるゆるになってケーキは少し残念な感じになるということを、私は知っている。

もしうっかり飲み物をこぼしてしまったら、その片付けと新たな飲み物の準備で忙しくなり、時間がたってしまう。私はすでに学んでいたので、飲み物を淹れ終わりカップをテーブルに置いてから、ロールケーキのお皿を冷蔵庫から取り出した。

その日はコーヒーを淹れたが、滞りなく作業は完了した。ケーキのフィルムは先にはがして捨てておく。ここまででようやく、おやつタイムの準備が完了したことになる。

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美しい仕立ては幸せな光景

目の前にはケーキがのったお皿。脇にはコーヒーも控えている。これはなんて豊かで幸せな光景なんだ、と噛みしめてしまう。

ケーキ屋さんで買うケーキって、味はもちろん色彩や造形にまで趣向が凝らされているから、お皿がどんなものでもいい景色になる。

なんでこんなふわふわ不安定で狭いスペースに、こんなフルーツののせ方できるんだろう、とか考えちゃう。ケーキ屋さんてみんなすごい器用。ケーキは料理だけど、美術や工作の作業にも近いのかなって気がする。美しい。

そして飲み物のカップもまた、ずるい形をしていると思う。

なにもないテーブルにポンと置いただけでなんかかっこよく景色を仕立てている。縦に立体感出してくるし、影もできるし。

ストレートな縦のラインに持ち手のカーブが効いているマグカップもよし。マグカップからしたら無駄の象徴であろうソーサーありきでデザインされた、小洒落たティーカップもよし。

そんなものが並んでいる。美しい光景だ。多幸。

きみは永遠になる

この美しい光景をくずしてかまわないところが、食べ物が美術作品とは違うところだ。食べておいしい感動の分だけ、きみは美しさを増すんだよ。傷むことなく永遠に、私の記憶の中で、輝くんだ。

そんなご挨拶を心のなかで済ませ、私はまず上にのったフルーツを降ろすことからはじめる。

改めて見ると上にのせられた二色のメロン玉が、サイズ感といい鮮やかな色合いといい、小さい子のヘアゴムみたいでかわいかった。透明なプラスチックの球体の中に細かいビーズとかが入っている飾りが、一つのゴムにつき二つ付いているやつ。大人のヘアアクセサリー売り場では見かけないやつ。

そんなほほえましいメロンを、まずはお皿の隅に置く。上にのったフルーツは最後に食べる派です。

そして、生地の目の詰まり具合に驚いた。なんだこれは。

ショートケーキよりも分厚く膨らみ、かつ均等に細かーく詰まっている。密度。それでいてふわふわで、生地を軽ーくつついたら期待通りちゃんと戻ってくる。そして気持ちいい…。

スポンジよりも水をたっぷり含めそうなスポンジ生地だった。これはダイブしたい、この生地に私の命を守ってほしい、と思ってつんつんした。

ロールケーキのスポンジ生地はショートケーキのそれとはまた違うものなのだと知った。今まで勘違いしていた。謝るよ、ごめんロールケーキ。

そうして、ロールケーキを横に倒す。指先とフォークでゆっくりと。

もうその作業がふわっふわだった。ちょっと楽しかった。でもここで失敗するわけにはいかない。再びケーキ取り出し職人を自分の中に召還した。順調に、最も安定感のあるポジショニングへ。めでたく作業は成功した。

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入刀のお時間です

いざ。

ああ、刺してしまった。もう戻れない。

フォークを抜くと、刺した左右から期待通りの弾力で生地の厚みが戻ってくる。

舌ざわりのいい、しっとりふわふわ生地だった。見た目よりもかるーい食感。このロールケーキは比較的スポンジ生地が厚くクリームが少なめだったので、生地の素材の味がよくわかった。繊細かつ素朴。クリームも甘すぎず、これは食べても胃もたれのような不快感が残らないケーキだ。

そして、刻みメロンがくるまれたところに到達した。厚みのあるスポンジ生地と生クリーム、そして食べ進めるまで気づかなかったうっすら塗られたカスタードクリーム。こんなに強いメンバーがそろっては、メロンの存在感がなくなるのではと心配になった。それくらい、メロンに対してスポンジ生地とクリームが多いように見えた。

しかし、ひと口噛むとメロン果汁がじゅわっと出てきた。こんなに小さなひとかけなのに、メロン、ちゃんといた。

スポンジ生地とクリームでは絶対に到達できなかった甘い潤いが舌を満たしにやってくる…。ちゃんと熟したメロンの蠱惑的な香りもする…。かたくて瓜瓜したメロンではなく、完璧に熟した果物として、圧倒的にここにいる…。私が虫や鳥ならここに集合する…。

花の蜜を吸う鳥

今更だが、私は果物は何かと一緒に食べるよりも単品で食べたほうがおいしいと思っている。

ケーキはケーキで好きだし、火にかけてジャムやソースなどに加工した果物だっておいしいが、果物としてのおいしさを本当に楽しめるのは、当然ではあるがそれだけで食べるときだ。

小さい頃から私にとって果物は、それだけで完結するすばらしいデザートだった。ただ果物が出ればもうそれは食事の一品に数えられる。

かじれば甘酸っぱさのバランスが爽やかに整っており、水分を含んでいるから喉も渇かない。なにか調味料をつける必要もない。他のお菓子、おやつ、デザートになるとこうはいかない。少なくとも水は欲しくなる。

口内の水分を吸われた感覚になるものや甘さに振り切ったもの・しょっぱいものは、飲み物、特にお茶やコーヒーなどの苦いものが欲しくなる。身体が味のバランスを保とうとする(小さい頃は味のバランス関係なく果物も甘い飲み物も好きだった。成長するにつれてバランス重視になった…)。

しかし果物は、他に何もいらないのだ。それだけあればいいのだ。

身体にいいビタミンなども含んでいて健康的でさえある。育てる時間と手間がかかる分、食べるとハイスペックだ。守備も攻撃も回復もひとりでまわせるチートキャラのようだ。

そう思っている私にも、このメロンのロールケーキはおいしかった。

歳を重ねるごとに、ずっしりもったりしすぎていないか、胃もたれしなさそうか、という視点が重要になっているが、スポンジ生地もクリームもしつこくなく、メロンが爽やかに Finish させてくれた。

そしてスポンジ生地とクリームのチームに、メロンはしっかりなじんでいた。

おひらき

ここでようやく冒頭に戻るが、ロールケーキってとても健気だ。メロンのロールケーキをお皿に倒したときにそう思った。あのうずまきが、存在しない目でうったえてきた。

スポンジケーキがロールされるなんて、ケーキ側にとってみたらどう考えたって不自然な動きだ。だいたい、天板で四角く焼いたくせに丸いケーキを求めていたなんて、軽く裏切りじゃないか。まるごと巻かれた四角いスポンジケーキはさぞ驚いただろう。

それなのに、静かに健気に従っているその姿。そしてそんなケーキ的アクロバティックな動きにも、割れず破れず耐えうるしっとりふわふわのスポンジ生地。ロールケーキのメインであるうずまきが、店でも家でも変わらずキープされていることに感謝します。(パティシエ様の技術にも拍手。)

ロールケーキを食べるとき私は、ケーキを倒してからロールに沿って外側からフォークを入れていく。常に自分の正面に入刀したところがくるように、次のひと口を切り出しやすいように、お皿を少しずつまわして食べていく。

ロールケーキとコーヒー

あまりこの食べ方をしている人はいないんだと知ったのは、大人になってからだった。

小さい頃から私は、誰に教わるでもなくロールに従ってロールケーキを食べていた。父も母もそんな風には食べない。根拠もなくなぜかそういう食べ物だと信じていた。

あのうずまきには従わなければいけない気がしたのだ。そうするべきだとロールケーキが言っていると、小さい私は感じていたのかもしれない。そんな気がする。

疑うことなくうずまきに従っていたから、冷静にまわりを見たときにみんなが直線的にロールケーキを食していることに驚いた。うずまきを無視してガンガンフォークを入れていく。大惨事だ。意味が分からなかった。

ロールケーキがロールされるのに従っているんだから、食べる私たちもロールに従うべきじゃないのか。それがロールケーキへの誠意なんじゃないのか。裏切りに裏切りを重ねて、ロールケーキが泣いてしまうよ。私にはそんなことできない。お行儀悪いのかもしれないけど、これからも私は強い意志でお皿をまわしてあのうずまきを守る。守りながら食べる。

改めてそう誓ったおやつタイムだった。