ここまでくればもう安心
日々のおやつタイムが好きだ。
おいしい飲み物とおいしいおやつを用意して、自分の機嫌をとる。おやつの用意がないときはないなりになんとかする。喫茶タイムと言い換えてもいい。
一日の途中で一旦おやつと飲み物だけに向く時間は、長旅の帰り道に見慣れた景色まで到達したときの「ここまでくればもう安心」という感覚に似ている。船の錨のような安堵感。そのあともまだ一日は続くんだけど、気持ちがリフレッシュされて残りの時間をちゃんと過ごそうという気になる。
頻度の差はあれど、(毎日の何時にとか、毎週何曜日に、毎月何日に、と)なにか自分の楽しみを定期的に配置しておくことは、なんとか前向きに生きようとする私たちの精神的健康をとても優しく守ってくれている、ということに最近思い至った。それまで無意識だったが、けっこうな救いになっている。
日常の食事はおいしさや幸せだけじゃなく健康のためって側面もある。でもおやつは嗜好品だから、完全に自分が自分の心の潤いのために用意している時間だ。趣味100%。だから、心がより回復する。お疲れ様。
雑誌や本を広げながら飲み物とおやつをプレートに載せているような、おしゃれ生活スタイルな写真がよくあるけど、私はあれがうまくできない。
おやつを食べると手を汚す。のんびり一口ずつおやつを食べるのは至福なのだが、そこに本があると本を汚す。ページをめくるためにいちいち指を拭いていると本の内容に集中できない。本の流れを切りたくなくて見ているページから視線をはずさずに次の一口を口もとに持ってくるのも危うい。
本に集中しきれていないわりに飲み物もおやつもいつのまにか消え失せているし。飲み物も近くに置いておくとうっかりこぼしそうで怖いし。結露で本が濡れそうで怖いし。
見た目がかっこよくて、のんびり優雅に好きな時間を過ごしていていいなあと思ってやってみたこともあったけど、本とおやつがなかなか両立しなかった。残念だ。
そんなわけで、おやつタイムは目の前のおやつと飲み物に集中することにしている。対峙。スマホを見ながらのときもあるが、そういうときはおやつを半分まで食べたら一旦ストップ、おやつと飲み物を奥や横にスライド、手元にはスマホのみ、よし10分後におやつ再開だ、みたいになる。よく見るおしゃれ生活な写真とは違う。あのおやつスタイルは玄人じゃないと相当難しいと思う。
飲み物大事
集中しがいのあるおやつや飲み物がある日は機嫌がよくなります。
おやつの用意がないときはないなりに、なんて書いたけど、私は飲み物の充実を重視しているみたいだ。おやつもおいしいに越したことはないけど、どちらかといえばおいしい飲み物があると嬉しい。
外でも、ドリンクメニューが充実していたりおいしかったりすると、いいお店だーってなりやすい。ドリンクがおいしいお店は間違いなく食べ物もおいしいと思っている。
家でも飲み物を淹れるのにかかる手間はそんなに苦ではない。といって、ラテとかそこまで手のこんだものは作らないけど。紅茶を淹れる、コーヒーを淹れる、くらいだ。片付ける道具の数が多少増えても自分の喫茶タイムのためならできる。少しの手間でおいしい飲み物!と思える範囲でおいしい飲み物を求めている。
逆に、お菓子を自分で作る手間は日常的にはかけられない。あれは一念発起レベルの大仕事。
成長するにつれて
おやつを調達するときに紅茶味やコーヒー味や抹茶味(以下、喫茶味)があると、おいしそうでつい買ってしまう。そして家で戸惑うことになる。喉が渇くのは目に見えているが、飲み物は何を合わせればいいのか。
以前、ロールケーキを食べたときに書いた記事で、果物はそれだけで完結する食べ物だ、みたいなことを書いた。
果物なら口の水分が吸収されることも甘ったるいキツさもないからそれだけで食べていられるけど、たいていのお菓子は喉が渇くか甘さに負けるかで、苦味のある飲み物が欲しくなる。歳を重ねるごとに気になってくる、飲み物とおやつの掛け合わせ。
甘さをリセットしながらじゃないと食べきれないならそもそも食べなきゃいいのに、という考えも過るがしかし食べたいのだ。おやつ一人分を食べきるために飲み物は苦みに振り切るのだ。それは果たして「食べたい」なのか…、しかし食べたいのだ。
子どもの頃はケーキだけでもケーキとジュースでもいけたのにね。純粋な「食べたい」。それができなくなった大人たち、飲み物でごまかすという言い方はしません。飲み物とおやつの組み合わせに、新たなおいしさを見出している。飲み物とおやつが互いに高め合う組み合わせを探す大人たち。そうしているうちに子どもの頃は「これを飲みながら食べるならケーキは単品がいいや」と思っていた苦い飲み物を、飲み物単品でもおいしいと言えるようになる。泣ける努力だ。
その努力を、どうしてくれよう。喫茶味のお菓子に飲み物はなにを合わせればいいんだ。
味と同じ飲み物を用意するとハズレはないんだろうとは思う。でもそれだとおやつと飲み物が互いに打ち消し合ってしまう気がする。その飲み物の味に麻痺してきてどちらも味わいきれなくて、ちょっともったいない感じ。
きっと喫茶味のお菓子はそれだけで食べるのが一番味わい尽くせるんだと思う。甘さも苦さもあって複雑な味を楽しめるんだと思う。でも喉は渇くんだ。
喫茶味に翻弄される
自己完結したくて出てきたのかな、喫茶味のいろいろ。いっそイチゴ味くらい本家を諦めている味だったら迷わないんだけどな。イチゴとイチゴ味って全く別物だし、イチゴ味のおやつとイチゴが同時にあっても味かぶりはしないと思う。でも、喫茶味のおやつは本家の飲み物の味や香りに忠実だ。それゆえに困る。果物の自己完結に憧れても、きみたちは果物にはなれないんだよ。
水か?ここは黙って水なのか…?
牛乳という手も思いついたけど、おやつのサイズにもよる気がする。小さければいいけど、食べるのに時間がかかるようなものや大きさだと、甘さをリセットする苦味が欲しくなりそうだ。おやつが小さければ、味を邪魔せず相性も良く、ベストなのでは…?
それかいっそ、紅茶味にブレンドされた薬膳茶みたいなのとか、コーヒー味にウーロン茶とか、関係ない苦み系な飲み物をぶつけてみる。これは大冒険だ。でも相性のいい組み合わせを見つけたときの感動がすごそう。
結局それだと状況が限定的すぎるから、やっぱり水なのかなって思っている。喫茶味って実は時短・節約おやつなのか?飲み物を淹れる手間もなく、外なら別で飲み物を頼まなくてもいい、水でおいしいおやつなのかな。今のところそのセンが一番しっくりきてちょっと悔しい。
これからも機会があるたび、喫茶味のおやつに合わせる飲み物の最適解を探っていきたい所存。