無記名

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ひとり分の薬
冷えた心細さ
ここが深海だったこと
流しこんで
星だ
と口止めする
カレンダーを見ると
今月はたぶん心の方が先に
薬より3日分足りなくなる

はじめて傘を盗まれたときから
そういえば久しく親とは話していないし
もうずっと天気雨が続いている
明るくなるのはいつも自分より上の方だということを
透明、と呼んで偽物にしてしまった
無口を密告する結露
奥行に手をのばすガラスはつめたい
空と
車輪
盗めるようにならなくちゃだめですか、と
地図に記すような挙手をしたが
タクシーは通り過ぎ
光の会釈が濡れていく

荒木医院の待合室は教室のように昼間だ
誰の名前が言えないのかと問われると
無名にも角度ができる
同じ前を向いたまま
きっとひとりひとりが
電話越しの方に少しずつ
呼吸困難でいる
「先生」
医者はだれにでも白い

朝になったり夜になったり朝になったりする坂道の先で
注意書きが注意書きでなくなるような十日間がゆっくりとすぎた
七夕のことには決まってあとから気づく
晴れたためしがないこと
銀色をした夕方に
また野菜をだめにしてしまい
誰よりもひとりという顔を得て

絶対に溜まりきらないスタンプカードと
夏は日が短くなる過程というだけ
ここではない土地のミックスナッツ
しまいこんだ答案用紙には無記名がある
足りなさを集めたものたちを
気泡のように信頼できるか
どうせ見上げてばかりだ
透明
好きに光っていればいい

『 無記名 』
    〔 ユリイカ 2022. 8月号 佳作 〕