水にかいた約束

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青が遠くにあったので
どこまでも空を帰路にする
そんな約束で海へと向かう
うみがめを見た瞳があった
だれが覚えているだろう
新鮮さと
懐かしさとは
色ちがいの小説のようで
背表紙をなでる指先を
ひとつひとつ
そろえたくなる

鳴き声ならば音にもなりうるけれど
そう言った彼はずっと古い蓄音機を
アトリエと呼んだ
理想的な箱庭
水面にシールをはるように
すべて未遂でおわる

そうか きみは音楽よりも
満ち潮だとか夜行性だとか
そういうひずみがやりたいんだな
静謐なまなざしは気泡の中のようで
呼気と同じに彼は
小さくすべて
許していた

大声で呼ぶというそのことが
なにをも遠くへおいやる行為だと知って
名前を忘れたふりをする
遠雷、
こじらせて
咳こむように笑う
生きていることをそばに置いて
歌詞のない曲を伴奏にして
それは言外に心地良いいとなみだった

水に鍵をかけても
時間を止めても
氷にはならない
彼はそういう
やさしい約束のあるひとで
ただ
原題は言わないひと

『 水にかいた約束 』
    〔 現代詩手帖 2019.7月号 佳作 〕