エッセイ

間違い電話がきて出かけたくなった

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間違い電話

何年ぶりかわからないほど久しぶりに、間違い電話がかかってきた。

出た瞬間に切れてしまったから、いたずらか緊急の連絡かもわからなくてとりあえず番号を検索した。なんでも検索しちゃう。

(タウンページみたいな)電話帳のページが出てきたし、今まで縁のない土地からだったから、多分間違い電話。その後かかってこないからおそらく緊急連絡ではない。ほっ。

それで、最近間違い電話って減ったよなあ…って思った。

そりゃあそうだ。少なくとも私のまわりの人たちは、スマホなり固定電話なりにあらかじめ番号を登録している。誰かに電話をかけるときは、電話帳に登録した番号をワンタッチである。

スマホなら電話番号を登録していなくても、病院とかお店とか、スマホで検索すればそのサイトからワンタッチで電話をかけることができたり、ネット予約などで手続きが完了して電話をかける必要がなかったりする。

黒電話

メールやSNSも便利だから、そもそも電話をする機会が減った。ましてや登録していない、知らない番号から電話がかかってくるような用事も、ほとんどない。

間違い電話をしてしまうとすれば、番号を手でひとつひとつ押したときくらいだ。

今回かかってきた電話番号は固定電話のそれだったし、多くの人が仕事をしている平日おやつどきにかかってきたから、(これは私の偏見かもしれないが)お年寄りが昔ながらの手つきで電話をかけたんだろうか。遠方にいる子や孫に。

コロナが収まらなくて久しく会ってないし、久しぶりに声だけでも聞きたくて、都会は人が多いから心配になって、電話かけたのかな。お出かけも一緒に行きたいのにできないし、孫の成長ははやいのに会えないのか…。

そんな妄想を膨らませてしまった。切ない。

ごめん、ちょっと愚痴

私も、今ごろは心置きなく出かけて、行きつけのお店の1つや2つ、できている予定だった。雰囲気のいい喫茶店やBarを見つけて、ことあるごとに通う予定だった。

(Bar。私にとっては常にアルファベット表記。)

それがなにも実現していないなんて…。

そろそろ ”自粛” を ”要請” されるのにも疲れた。私は家で一人で過ごすのも好きだから、お店の営業時間短縮や営業休止も当初は、外食の機会が減るのかそっかー、営業時間は事前に調べないとかー、くらいに思っていたけど、想像以上に不便だしストレスになる…!

一週間のほとんどを、一日中家で過ごしているのに、毎日毎食冷蔵庫の中身からできる料理を考えてレシピ調べて食事をなんとかしているのに、たまに外食したいときに行きたいお店がやっていなくて結局いつもどおり過ごすしかない、ってなると、なんともいえない疲れが…ね…、そろそろね…。ごはん以外にも生活っていろいろあるしね…わしは疲れたよ…。

喫茶店さがしはまだできなくもないけど、カクテルのおいしい居心地のいいBar、探したいな…。今はお店が酒類の提供を控えているし、Barさがしは全くできないな。

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Barに行きたい

おいしいカクテルを、飲みたいんだ。

バーテンダーが斜めのいい角度でシャカシャカしたアレを、おしゃれな形のグラスにひょーーんと注いで仕上げてスッとこちらに出してくれるやつを。カウンター席に座って目の前で見たいんだ。

そして小さなひと口をちびちび繰り返しながら、マスターとおしゃべりしたりぼーっと音楽を聴いたりしたいんだ。

おしゃれな名前のカクテルをよくわからんまま頼んで、こんな色なの?びっくり!わあおいしい!とかやってみたい。でもカクテルの名前だけで、ああ、あれね、って言えるようにもなりたい。

それで自分の好きなカクテルを聞かれたらさらっと答えられるようになりたい。(聞かれることなんてめったにないとは思うけどさ。)

飲み会を断ってひとりで隠れ家的Barに行きたい。ここなら知り合いは来ないという安心感。ひとりを謳歌。心を許した数人の友にだけ教えてあるようなお店。

手元を照らす程度の少し暗めの間接照明の店内に、心地いいテンポの音楽が流れている…。慣れた席で「マスター、いつものお願い。」って言うんだ。きれいに磨かれたグラスに、マスターの知識と経験が詰まったカクテルが注がれて出てくるんだ…。

ちょっとしたおつまみがおいしくて食器類も洒落ている感じとか、混みすぎない店内の不快じゃないざわざわした感じとか、たまに慣れない席に座ってみて新たな秘密基地を発見しちゃった感とか…。

やりたいいい。ベタ過ぎてくさいけどでもやりたい。

ファンタジーじゃいや

味の違いが細かく区別できる人間ではないし、バーカウンターの椅子に座ったらたぶん脚が浮いちゃって落ち着かない子どもみたいになるし、マスターとおしゃべりが楽しめるほどコミュニケーション上手じゃないけど、とにかく憧れだけはある。

近しい友達とおしゃべりするのにも行ってみたい。Barでおしゃべりってなんか、信頼って感じがする。
お互い大人になったよねえ。

今のままではBarがファンタジーだ。

本当にこの世にそんな空間あるの?そんなこと現実でできるの?って感覚になっている。あかん。

コロナが収束したらきっと、お店に行って飲食をする意味を以前より深く実感するんだろうな。

食べ物だけじゃなくて、そこまでにかけられた手間や技術とか、家だと自分でやらなくちゃならない部分のサービスとか、店内の造りや、自分とは関係のない人がいる雰囲気とかとか…。

そういうところにお金を払うぞって、前よりも思える気がしている。

はやくためらわず自由に出かけられるようになって欲しい。世の中よ…。