彼女の名前

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彼女の名前のついた海沿いの街がある。そこではガラスのように硬い、月でも太陽でもない歳月が終日昇る日が、年に二回だけある。蒼火で粗く輪郭を結び、暗い口紅で隙を埋めたような。研究者たちによると、その間は月も太陽も空に喪失している。発見した者は受賞するが未だに、そして正しくは、その二日だけ、街は彼女の名前で呼ばれる。

なづけおやといいなずけがひとつの単語で著されていた愛を思い出すと、図書館が開館する。街の名前について尋ねると彼女は、真っ黒なハイヒールを片足だけ脱ぎ、中で飼っていた泡虫を一匹、足の指でつまんで宙に放って、また再び履いた。これは彼女の癖だった、照れているのだった。

月も太陽も出ない二回の歳月のうち一回は、街の人にとって予報する術がなく、優位な海賊船の帆のように突然おりてくる。その日の朝ははなはだ重く、地平線の上に載っている質量にだけ、朝がくる。影のない海辺と城のように白い住宅街で、空だけが夜で影だった。彼女は生まれつき潮目だったので、彼女だけが唯一この日を予測できるのだが、彼女は死後神にならないことが決まっているからと、何に対しても無関心で、頑固な閉じ口の本だった。

どうしても天災だと思いたい観光客には、嘆く者、悦ぶ者。空の夜と地上の朝の対比のせいか、地上のすべての物質が、ぼんやりと蒼白く発光して見えて、それがどうも信仰のようだった。街の人は歳月の一日を、子どもの風邪のように諦めていたから、改まってせず、日常を愛しく続けた。

もう一度ある歳月の日は、彼女にだけわからないタイミングでやってくる。街の人はだから不便なく、さまざまな準備をする。当日になると、庭の菜園や草花のプランターに暖色光をあてたり、もうしまいこんでいた薪や暖房器具を起床して、一日中部屋に籠もったりする。街の人はこれを衣替えと言った。彼女はこの衣替えを、街全体を巻き込んだ自分の誕生日パーティーだと思っていた。幻想的な街を頂くこの不定期な誕生日は、好奇心が小さい彼女の、ひとつの興味だった。そして独り占めをやって、勝って、勝って、…

不協和音。隣に触れたら同時に存在してはいけないと、言われているような。丁寧には鳴らせないサイレンだった。直接的な景色に、遠耳でいることこそ合言葉で、図書館で量るには難しい声がする、泣き声でもあり、笑い声でもあった。孫引きの知識で要約すると、つまりそれは彼女の心音で、鼓動に、ひとりで吊り橋効果を体現していた。彼女はまたその長い脚をぶらぶらと遊ばせて、泡虫を放す。わたしは、あれはあれで、彼女の誠実さはひとつの態度だったから、身体に良い鼻歌、それは処方箋みたいに。理想的な窓辺の光景の、すると花火で。

『 彼女の名前 』
    〔 現代詩手帖 2019.1月号 佳作 〕