エッセイ

脳が読めない本・脳が聴けない歌

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紙の本と画面の本

脳がいまいちデジタル技術についていけていない。

そんな実感がある。

電子書籍を利用するようになって特にそう思った。紙の本で読んだ方が、ページのどのあたりにあの内容があった、みたいなことを思い出しやすい気がする。電子書籍だとそういう物理的な空間把握がうまくいっていない感覚がある

気のせいだろうか。たまに弱いめまいを感じて地震と勘違いするくらいの、気のせいなんだろうか。

気のせいじゃないとすればどう考えても私の脳の進化がデジタル技術の進歩に追いついていない。脳がバーチャル空間に対応しきれていない。

齟齬が広がる世界

乗り物酔いに近いものなのかな、と思った。

乗り物酔いは、揺れの情報や加速・減速の情報、見えている景色の情報が、うまく連動せず脳が混乱するから起きるらしい。

自分で歩いていたら知覚する情報は把握しやすいけど、自分の身体を動かさないまま自分の身体で出せる以上の速度や動きをしていたら、脳にとっては齟齬が起きていることになるんだろう、と解釈しました。

電子書籍も、そういうことなんだろうか。

本は物理的にページが「ある」けど、電子書籍は見えているだけで物理的にはページが「ない」から、脳が把握しきれていないんだろうか。

見かけは延長されるのに、画面が実際に伸びるわけではない。自然界でそんなことはありえないから、脳にとっては一大事なのかもしれない。

不思議な音楽

デジタル技術に脳のエラーを感じたことはほかにもある。ボーカロイドだ。

最近ではサブスクや動画サイトにたくさんのボーカロイド楽曲があがっている。レコーディングのプロセスを省略して、作曲者が歌までつくれるのはすごいことだと思う。

たまに家のアレクサで「人気な楽曲」のジャンルで音楽を再生すると、ふらっとボーカロイドの曲が流れることがある。あの不思議な響きは独特な世界感を持っている。

そう、不思議なのだ。

ボーカロイドの歌は、次のひらがなの発音に移ってようやくさっきまで聴いていたひらがなが分かる気がする。ボーカロイドといえば人間にできないくらいの早口な曲も多いが、ゆったりしたテンポの曲を聴いたとき、特にそう思った。

だから、「次」がすぐにくる早口な歌詞には反射で理解が追いつくのに、ゆっくりと繰り出される歌詞ほどまず何と言ったのか頭が考えている。

(純粋に早口が速すぎるせいで聴き取れない場合もある。)

聴こえているのに、聴けていない感覚。

listen しているのに hear にさせられて、hear もうまくいかないような。一瞬、脳が浮遊して、でも音楽にのって流されてしまうしかないような。再生中は、抗えない小さな違和感でふわふわした時間になる。

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がんばれ、脳。

私の中では電子書籍も、紙の本に比べて「読んでいるのに、読めていない」部類です。

今のところ、ボーカロイドの後出しの浮遊感に脳が順応できる気がしない。でも、電子書籍なら使っているうちにだんだん脳が慣れていきそうな気がする。

最近めでたくも友人に子どもが生まれた。今生まれる子どもたちは小さい頃から画面が身近にあって、さわれる画面も見るだけの画面も、慣れた存在になるんだろう。

人間の身体感覚が作られていく子どもの頃からデジタル機器を触っていたら、身体感覚ができてからデジタル機器が出現した今すでに大人の私たちより、脳が順応しやすいんじゃないかな、と思っている。いいなあ。

きっと、紙の本も電子書籍も感覚の違いなく読めるんだろうなあ。(あくまで予想です。)

記憶の差の問題さえなければ私も、電子書籍をもっと迷いなく選べるんだけどな。電車にもお店にも、移動している最中だって本ごと本棚を持ち歩けるんだもの。実際の本棚だったら棚だけだって持ち歩けないのに。

電子書籍は本を何冊持っても運ぶ重さは増えないし。家にスペースを作らなくても置いておけるし。なんて便利なんだ。

はやく慣れて使いこなしておくれ、私の脳。