今日から12月。空も地面も暗い朝。暗い雨が降っている。
今年の冬は特に冷えこむ冬になるらしい。あんまり冬らしくない気温が続いていたからウールのコートはまだ着ていない。最高気温17℃。そんな11月末だった。このあと何日・何週間先かわからないけれど、急に極寒になるなんて信じられない。ちなみに、今日の予想最高気温は19℃。
日中の太陽がまだしっかりとあたたかい。とはいえ乾燥した風が吹くから寒いことは寒い。外の空気に直に触れることになった指先や鼻はしゅんと冷える。身体の冷える感覚とぬくぬく心地いい日向を一緒に感じていると、今夜のお風呂は幸せだろうなあと思う。お散歩に行って帰ってきて、手を洗うときはお湯に触りたい。穏やかで、せわしさがひととおり過ぎ去った年末年始の気分だ。
もうお正月に思いをはせている。明白におしるこが食べたいのでどちらかというとお正月も終わった頃の感覚でいるのかもしれない。
こんなことは珍しい。クリスマスが抜けている。
クリスマスの本場ではもうクリスマスのアドヴェント期間だというのに。外で少し震えながらグリューワインのカップを両手で包んで飲むような、そんな天気とはなんだか違う気がしているのだ。
キリスト教徒の人からしたら軽々しい温度感かもしれないけど、小さい頃からクリスマスが大好きだった。はしゃいだ街のあかりや音も、サンタさんの絵本も、冬休みも、部屋やツリーの飾りつけも、クリスマスの歌をうたうのも、クリスマスケーキも、そのあとお正月になるのも、たのしくていつもわくわくしていた。
クリスマスが楽しいものだと思えるのはとても幸運なことだと最近になって思う。毎年思い出すのはその楽しい感覚だ。何かの出来事というよりは、毎年わくわくを繰り返して浸透したその肌感覚がふっと静かに湧いてくる。寒さの中で少しだけ世界が明るく優しくしてくれる気がして、なにともなしにわくわくする。
たぶん毎年、目の前の季節へのわくわくが3割くらいで、残りは過去の、積もった気配でわくわくしている。過去だからかどことなく遠くて静かだ。目の前のにぎやかさと同居している静謐さ。独特の空気。
だから、予想外だ。お正月の気配がする。なんとかクリスマスに気分を乗せていきたい。その先にお正月のめでたい空気があるのがいいんだ。
12月からクリスマスの曲を解禁しようと11月中は耐えていたし、クリスマスの音楽をかけていれば気持ちがクリスマスに戻ってくるかなと思う。最近の曲ではなく、小さい頃に毎年歌っていた曲。アマゾンミュージックにもないようなマイナーなうた。これはとても強力な魔法で、信頼感がある。つい機嫌がよくなってしまう。気分を出していきたい。
そうしたらちょうど今、クロネコさんが届けてくれた。グリューワインとともに大人になってからクリスマス気分に加わったもの。シュトーレン。
ネットの街は11月初めからクリスマスになっていたから、先に注文しておいたんだった。今届いたのは去年おいしかったシュトーレン。間違いない、クリスマス気分のもと。おいしいものは届いただけで顔がゆるんでしまう。これできっとクリスマス→お正月の流れに気分が乗るはず。
シュトーレンって大事に味わって食べないともったいないと思うくらいのお値段はする。その割に、たいていクリスマス前に無くなってしまう。いちにち1スライスと決めているけど、その1スライスが難しい。あんまり薄いと食べた気がしなくてもったいないし、あんまり厚いと一気にこんなに食べていいんだろうかちゃんと味わいきれるんだろうかと不安になる。ある意味運まかせの1スライス。そんな気持ちの揺れもアドヴェントらしい体験なんだろうか。
あったかいのみものとおいしいおやつがあるのはいつの季節だってうれしいけど、クリスマスの気配はどこか特別だ。今日からシュトーレン。静かなきらきら。静かなわくわく。シュトーレンが小さくなっていくたびに、自分の中にクリスマスの気配としあわせが徐々に積もったらいい。じんわり。むしろそれが本場のアドヴェントの感覚なのかもしれない。クリスマスは急にはやってこない。
朝の雨が上がっていつの間にか、明るい青空だ。外の方が明るくなった。カラッとしてすぐに乾燥する冬は雨上がりといえる時間も短いけれど、冬の雨上がりの空は乾燥肌に優しいし、部屋では窓から床に差しこむ日向が朗らかだ。