エッセイ

寂寥の原料

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なんで?寂しいの?

ここ3年くらい遊んでいたオンラインゲームが提供終了を発表した。

特に課金をしていたわけでもなく、そこまで思い入れが強いわけではないという意識だった。だから自分でも意外なんですが、わりとショックが大きいようで。

ぽっかりしている。

ああ。なくなるんだ。そっか。

自分が楽しめる距離で楽しんでいたものでも、自分に関係なく無くなるんだなあ、と思うと少し寂しい。寂しく思ってもその事実は動かせず、自分はただただ外からの影響を受け入れるだけ。

急に諸行無常を実感してしまった。

突然の報告にはどんな内容でも面食らうものなんだな、人って。そして納得するしかないやるせなさよ。

私自身だって他に関係なく変化するし消える身なのだが、自分からしたら自分は動いていなくて、周りばかりがめまぐるしく変化していく。夏はこれからだってのにひとりで秋冬の乾いた風に吹かれてる気持ち。何にかわからないけど「置いてかないでー」って言いたくなる。

RPGだから、主にキャラクターとストーリーを楽しんでいた。感覚としては、追いかけていた小説や漫画が7~8巻くらいで完結するのに似ている。正確にはゲームの提供終了はまだなので、次巻で完結かあ、くらいの感覚かな。ここまできたらもうちょい続くつもりでいたんだよ、体が自然とそのつもりだったんだよ。

ただ、他のストーリーものと違って今回のオンラインゲームは提供終了すると消える。消失。

ゲームのデータが残っていたとしても現実生活に関係ないといえばそうなんだけど、数年分の軌跡が無かったことになるのは、時間をかけて夢中で作っていた砂のお城があっけなく波や風にさらわれてしまうときの気分に似ている。もともとそこに無かったものが再び無くなっただけの話なんだけどな。

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人間にまだ慣れない

今手元になにも残っていないと、楽しかったあの時間は何だったんだろう、と思ってしまう。ゲームは娯楽であって、娯楽は本当に、楽しんでいるその時間こそがメインなんだなと思い知っている。

結果なにも残らなくても、確かに楽しんではいたんだ。

世の中にゲームは無数にあるし、これからも次々にオンラインゲームがリリースされるのはわかりきっている。遊びたければ探せばいくらでも娯楽はあるし、好きになれるものだってこれからも新たに発見していくんだろうとも思っている。言ってしまえばこのゲームがすべてではない。

そうではあっても、空虚と郷愁と失意と孤独というそれぞれの瓶をうっかり落としてそれらが混ざってしまって、思いがけず「ああこれが寂寥か…」と気づいてしまって片づけられずに見ているような時間です。

大好きだったものが生産終了したり、欲しいと思ったときには廃番だったり、長らくそこにあったお店がなくなっていたり、身近な存在が突然身近からいなくなったり、推しが活動休止・解散したり、そういうことはいつも自分の外側で勝手に起こる。

私の望むとおりには絶対にならず、私は外側の変化に身を任せるだけ。それがいちいち侘しい。侘しく思う心以外はすべて外の世界のことでそれがまたやるせなさをくっきりさせてくる。

この感覚、慣れない。電車に置かれたままの忘れ物の傘とか、手を離されちゃって空に飛んで行っちゃった風船とか、これから棄てられる古本とか、こんな気分なのかな。

なにはともあれゲームの運営さんありがとうございました。たくさん楽しみました。
このもの悲しさも感謝にかえて、そうしてまた元気になって生きていく。

これが人間だ!人間なんだよ!!セバスチャン!!
『黒執事』枢やな より)

このセリフ ↑ 、本家とここの文脈ではだいぶニュアンスが違うけど、
相田みつをより今はこっちの気分。