遠泳

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電車の銀色の車体が青く見えるくらい、すっと迷いなく晴れていた。夏が、暑くても冷えることがある。遠泳だった。我に返るまえ、反射してきたどこか、にあるはずの空路のことを考える。空が高く抜けるほど、昼下がりを抜け出す想像は遠く。仰向けになって水に浮かぶと、言葉じゃないもので外を見て、触れることができた。天球儀。感覚でさわれない空路って絡まる信仰に見える。多色なきみの空耳が、武器の音量になりませんように。

右耳から眠る夜のつぎに、左足から醒める朝がきたら、自分が忘れているだけで身体には補助線が引かれていると知って。ひとつの身体にひとつの時間、かつて傘を美しく巻く専門の職人は、重力のようにそのことを知覚していた。靴下を履く片足立ちと、雨上がりのらくがきが得意だったらしい。それは、絵も記号も言語も均質に薄意味で、影と光とが等しく木漏れ日であるのと同様の、空隙だったはずで。ウィスパーヴォイスの消え方を真似た筆触に、光と水を聴き分ける、睡蓮の正午が揺れる。「一方通行」。「UTOPIA」。

きみの声に、風向きはある?
遠い他人の本棚から一冊選ぼうとするような表情の、軽かった。面差しは動く車窓に向けながら、声は隣に座る人に向くこともある。返事の要らない会話と、浅瀬のような心許なさ。遠出したのと同じぶんだけ、心も奥に分け入って、そこできみと同じ日陰を歩けたらいい。空輸、では届かない手紙もあるという気持ち。今日や昨日を言語でやっている街の、どこを探しても途中からはじまる物語しかないから、おそらく僕も途中で終わる。明るい不具合。生物だ。人間は、昔割った茶碗のかけらをとっておくみたいにして、寿命が延びてきたのを知っている? 乾杯。

小島を目指していた。一本の木だけが小さな陸そのもののように存在する孤島を目指していた。肉屋。鳥の恐怖が明るい高さにはないこと。魚屋。魚の恐怖が暗い深さにはないこと。移動手段というよりは、どれも心で賢い青魚だった。人の生息は未だに、果実の浮き得る浅いところ。青果店。遠くを泳いでいる思想が、あふれそうになるたびに、互いの海にオレンジを投げこむ。自分の背中には地図がないし、手が届かないから。漕ぐように投げたい、その始終は醸し、と呼ばれる現象になりたい。描きながら消える放物線が、約束みたいにまだ軽率だった。

とぷん。たまにかぼすとグレープフルーツ、稀にスイカのビーチボール。無策だ。

『 遠泳 』
   〔 現代詩手帖 2022. 9月号 佳作 〕