『現代詩手帖 2024年5月号』にイベントレビューを寄稿しました

4月26日(金) 発売の『現代詩手帖 2024年5月号』に、イベントレビューを寄稿しました。
3月に行われた〈坂東祐大&文月悠光 音楽と詩と声の現場2024〉について書いています。

  • 現場がわたしである以上、効果的な毒だった

というタイトルの文章です。P152~153。

 『現代詩手帖 2024年5月号』|思潮社サイト

『現代詩手帖 2024年5月号』 特集=パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く
現代詩手帖 2024年5月号
イベントレビュー「現場がわたしである以上、効果的な毒だった」(小川芙由)

イベントについてざっくり説明すると、現代音楽の作曲家と現代詩の詩人のコラボレーションです。

米津玄師や宇多田ヒカルの楽曲、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」、現在放送中のアニメ「怪獣8号」などの音楽を手がける作曲家・坂東祐大さん。

詩集「適切な世界の適切ならざる私」(中原中也賞・丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞)、エッセイ「臆病な詩人、街へ出る。」(高校国語の教科書に掲載)、小川珈琲の「コーヒーの詩」(夏木マリ朗読)などを書き、現在、武蔵野大学客員准教授である詩人・文月悠光さん。

現代音楽の作曲家と現代詩の詩人が「音楽と詩と声の現場」と題したステージをつくった、
というものなのですが、「音楽と詩と声」と言いながら「歌」ではないアンサーをごりごり繰り出してくるのが、このイベントの面白いところ。

▲ポスター表
▲ポスター裏 出演者のみなさん

一言では表せないステージ。
見てくださいとしか言いようがないインスタレーションで、見開き1つぶんの文章にするには難易度の高いイベントでした。
個人的には、金沢21世紀美術館がすきなひとはこの公演すきそうって思います。

今回の公演は、現代音楽らしさと現代詩らしさをどちらも譲ることなくいっしょくたにして提示する、という実験の場。音楽はBGMや伴奏にはならない。言葉は生身のままで歌われない。演奏と朗読だが、演奏会とも朗読会とも言えない。それは刺激が提示される、新しいなにかだった。

「現場がわたしである以上、効果的な毒だった」(小川芙由) 本文より抜粋

 『現代詩手帖 2024年5月号』(思潮社)|amazon

今回書いた〈坂東祐大&文月悠光 音楽と詩と声の現場2024〉のイベントの感想は、
『現代詩手帖 2024年5月号』の P152~153 です。
よろしくお願いします。

【補足】
こちらの動画 ↓ は今回の公演ではないですが、現代音楽と現代詩の歌ではないコラボレーションってどんなものか(そして一言では説明しがたいとはどういうことなのか)、様子がわかると思います。あわせてご覧ください。
坂東祐大さんのYouTubeチャンネルです。

坂東祐大「耳と、目と、毒を使って」


さらに同号、詩人の中尾太一さん、藤原安紀子さんの連載「共の、壊れた外口で」にて、おふたりがわたしの第1詩集『色えらび』のことをたくさんお話しくださってます。
感激です。

往復書簡形式の連載。P142~150。
わたしが寄稿したページの少し前です。こちらもぜひ。

▲連載〈共の、壊れた外口で②〉詩の光と「行為」の姿

『色えらび』はある意味で、非常に弱い詩集です。弱い声、強くない声が内に持つ多くの色彩が瞳のなかにすっと入ってきます。そこで僕は小川さんの詩の「弱さ」に首を突っ込んで、ちょっとだけその先を見たくなります。
(中尾太一)

小川芙由さんの『色えらび』にはヒリヒリした原石ふうの手触りを感じます。 〔-略-〕 『色えらび』の詩の言葉はたおやかで、ときおり覗く野趣にこそ魅力を感じます。
(藤原安紀子)

現代詩手帖 2024年5月号、よろしくお願いします。

 『現代詩手帖 2024年5月号』(思潮社)|amazon

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